Uemura Masayuki

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作品集によせて

植村さんはあたまの中に鳥を飼っているというよりは

植村さんのあたまの中には鳥が住み着いているというよりは

植村さんのあたまの中には人の手の入らない原生林のような所があって

そこには他の誰もが知らないような鳥たちがいるのかもしれない

植村さんが描いた絵を見るというよりは 

植村さんが手放さずに持ち続けている何かを私たちは見せてもらっているのかもしれない


その手から生まれる色や線

ぐぐぐ   と 見るものをひきつける

ふふふ   と 見るものを楽しませる

よろろ   と 見るものがやられちゃう

ひとつひとつの絵が強い力を持っているのはなぜなのだろう


あたまの中で騒ぐ鳥たち  を

届けてくれてありがとう

素敵な本 


こもりうた (シンガーソングライター)


わかりたいんだけど、わかったらつまんなくなりそうなことって沢山あって。おばけがいるとかいないとか。あやふやなままの方が楽しいこと。一方で、あやふやがあやふやなままだと困ってしまったりもして。だってあやふやに頼って生活していたりするから。あやふやで乗り越えられることが結構あったりするから。だから、いつでも頼れるようにあやふやにはしっかりとしていて欲しい。私の知らないところにあやふやの巣があって、そこでタフな暮らしをしていて欲しい。

 そんなことを思いながらこの画集を開いたら、頼もしいあやふやが、頼もしい描線で、みっしりと群れをなしていた。

 

福原充則(脚本家・演出家)


 植村さんの絵を初めてTwitterでみて「なんて美しいんだろう」「どんな人が描いているんだろう」と興味がわきフォローした。以来、時おり投稿される作品はどれも圧倒的で心を打たれた。何色ものサインペンを使い、潔く引かれたおびただしい数の線が描き出すのは何気ない風景であったり、ごみごみとした街の一角や狭いライブ喫茶の店内、時々怪獣や虫やその他の魑魅魍魎も登場する。その線には一貫して迷いのなさが感じられ実に率直。だけど純粋無垢な子供の絵とも少し違っていて、現実の闇を抱え恐怖と向き合う大人の身体が吐き出したような線だった。

その身体は優しい音楽を奏でたり、屋上の夕焼け写真をツィッターに投稿したりしている。多才な人、と言ってしまえばそれまでである。『あたまの中で騒ぐ鳥たち』のあとがきでは彼がここに至るまでの出来事が生身の言葉で語られていた。何度か繰り返しページをめくって、植村さんの世界は考えていたよりもずっと深く、この作品集は彼がある決意をもって私たちにチラ見させてくれたそのほんの一部に過ぎないのだろうと思った。優しさと怖ろしさが同居している絵。その二つは切り離せないものでたぶん彼そのものなのだろう。

 

鈴木順子(ワイン栽培醸造家)


 植村くんの初の作品集「あたまの中で騒ぐ鳥たち」が我が家に届いた時、夫は「植村くんは天才だ!」娘は「植村くんの絵かわいい!」私は「植村くんラテン系だね!」。そして我が家の犬は「ワン!」と一言吠えた。 


植村くんの頭の中をちょっと覗かせてもらって、いろんな記憶を引っ張らせてもらって、自分の記憶とくっつける。そうそう、日々の生活って、こんな感じだよなって思う。自分の生きてきた時間も。

私のあたまの中も鳥が騒いでいます。ピーチクパーチク。なんだか賑やか。

植村くんの作品集を見てるとなんだか元気がでてきます。なんだか温かいのです。懐かしい昔の写真を見るような気分。

これから何回もページをめくる本になりそうです。

小池つねこ (mazekoze店主)


うえむらさん、作品集発売おめでとうございます!!!!

うえむらさんの作品集、原画、ポストカード、CDに書いてもらったサイン(マツさんと変な魚)何度も見返してます。見れば見るほどなんなんだこれ‥が増します。そもそもマツさんはサインじゃないし。マツさんのTシャツにNYって書いてあるし‥。

私の好きなものには、なぜ好きかわからない、わからないままで良いというものがあります。うえむらさんの絵はわからないままです。でもそれでいいと思っています。

しょーもなっと笑ってしまうものからぞぞぞと恐くなる空っぽの目。

うえむらさんはせっせと、ちまちま、毎日毎日、時に険しく時に半笑いで描いていたのかなぁと思いながら(ふふふ、もう一回見よ)と私のお気に入りのランドセルパカ!荷物ドドド!をにやにや眺めています。


nora(布小物作家)



まず入り口には、おかしみとかわいさがある。

通り過ぎていく絵はたくさんあるけれど

植村さんの絵の生き物たちは

ぼくを通り過ぎていかない。

あまり目はあわせてくれないけど

玄関あたりで、ハロウィンのこどもたちのように

ふしぎな動きをして、かわいく、おかしく、すこしぶきみに

あいさつをする。

ゆれる線を追いかけていくと

ぎゅっと黒いベタがあらわれる。

おおげさにいうと

黒いベタは祈りの泉のようで、

揺れる線は、その重みを軽くする鳥たちみたい。

ぼくは植村さんの黒が大好きです。

確かに描かれる線たちは、

ぼくの頭の中でも騒いでいる、じっとしていない

動いている、だからいつみても未視感があって、

植村さんの描いた絵をずっと持っていたいのだと思う。

出口には少しだけ、お祈りとお祭りがある。

鳥たちー! 本になってよかったねー!


ぜち  (マンガ描きのやぶ医者)

 

植村さんの作品集はめちゃ元気がでる。

頭がビャーーン!と開けたり、ずっこけーて力が抜けたり。

魂の強く頭の弱くピュアおおらかでひょうきんで、謎の哀愁までも滲ませた、絵の中のみなさん、線は、どこから来るのでしょう。

見ていると、それを可愛がる気持ちと可愛がられている気持ちと、両方になります。すごい力です。心が動いて動いて元気を出させる力。ぴたりと固まり表情を失った心になったときにも、この本を開けばまたすぐエンジンをかけてくれそうだなあと思います。

植村さんの中の全植村さんと、ここにおさまりきれなかった絵たち(次に続くのを待ち構えながら)と、出会えた私たちみんなが記念すべき初作品集に拍手喝采を送っています!

おめでとう、ありがとう!

わー!!!!


円庭鈴子 (音楽家)



B6サイズのかわいいたからもの。

昔、トムズボックスの土井章史さんが、B6サイズの『メリーさんの絵本』という、土井さんオススメ作家のイラスト集を定期的に発行されていました。インターネットもまだない時代で、定期購読というカタチで知らない作家さんの作品集が家に届く、斬新で画期的なシリーズでした。封筒を開けて本を開くときがとても楽しみでした。植村さんの作品集が届いたとき、そんなワクワク感を思い出しました。

「あたまの中で騒ぐ鳥たち」には、たくさんのヘンテコが詰まっています。ぐにゃっとしてたり、ざざっとしてたり、ぱぱっとしてたり、ふわっとしてたり、どきっとしてたり、ぽぽっとしてたり。それぞれはとてもシンプル。ページをパラりとめくると、それらがあたまのなかで洗濯機のようにかきまざって、それはそれは騒がしくなるのです。干したあとは、絵が勝手に遊びまわるので、取り込むのに一苦労です。そんなB6サイズのちいさな世界の中で、わがままで愛しいヘンテコたちがぴょこぴょこと飛び出す、ポップアップブックのような作品集です。

ヨコイマウ (イラストレーター)     


 植村さんの、「あたまの中で騒ぐ鳥たち」を覗いていたら、わたしの頭の中の鳥たちが騒ぎ出し、音を出したり絵を描いたりしたくなりました。 


うまく言葉にできないことや、自分でもよく分からないような何か、そんなことも大切に思えます。
宝物にしたいです。
 


私が植村さんの絵が不思議だなと思ういくつかの理由のひとつとして、時に不自然だったり不条理であるにもかかわらずあらゆる状況にしなやかになじむなぁと感じることです。すごく極端なたとえですが、仕事を終えて家に帰って来てあの鳥獣たちが突然自部屋にいたとしてもそういった状況を割と自然に受け入れられてしまうような、そんな感じです。
それはきっと植村さんの絵が、確かな視点によって日々における平常も異常も描いているからなんだろうと思います。奇妙な線や美しい色彩、思わず脱力してしまうタッチから、息を呑む描写にいたるまで、どこか自分の中にある(あったはずの)景色や感情の記憶と共振するような気持ちになります。それは未知のなにかに出会いに行くワクワクにさえ似てもいる(!)ので、ふとした折この作品集のページをたぐるたび、私はなつかしい何かと新鮮な何かにいつまでも出会い続けられるような気がします。素敵な作品集をありがとうございます。



植村さんはいつもしれっとした顔をして静かに佇んでいる。「うれしいな」と言う時も淡々としていて、本当にうれしいのかな?と思ってしまう。
「あたまの中で騒ぐ鳥たち」は、ぐにゃぐにゃした線や震えた線で描かれた絵が多く、不思議で変で、ページをめくる度に、どうしてこうなったのだろう…??と考える。その中に急に美しく繊細な絵も入っていて、びっくりする。(絵から、諦め、覚悟、大事な思い出などが滲み出ているように見える。)
静かに佇んでいる植村さんの内側で、大きさも色も性格もバラバラな鳥達が鳴いたり羽ばたいたりしているのだろうか、と想像するととても面白い。これからも鳥達と一緒に、沢山絵を描いてほしいです。 
 
宇井千晶(Temple Book)